休憩と宿泊の間には今日も火球がふっている/鯖詰缶太郎を読む/おまる
 
時にはっきりと浮かび上がってくる、
というような性質であり、
換言すると、表象を狡猾に断絶することで意味を
超えた言語的価値が浮かび上がってくる、という仕組みをしている。

これは結構ヤバイことであって、
身近な例でいうと本当にひどい悪口はパッと聞き理解できなくて、
あとになってじわじわ効いてくるものなのだけどサバカンさんの言語も、
そのような息を吐くような悪口にも似た「加害性」に依拠しているように
思われる。

あと、これはおまいうなのだが、あまり同時代的な評価に引っ張って論じたくない、
というのもある。「j-walkを知らない子供たち」じゃないが、若い人たちが
どのような解釈を与えるのか、かなり興味がある。
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