金属のシマウマ、あるいは驚異についての論考/牛坂夏輝
 
連の道徳的な食事のことである。私たちは、樹液を舐める男の表情を見た。彼は、山脈の上で自らの眼球をくり抜き「ぼくは、愛するために深い挨拶をした。それは危険な潤いを、ぼくの精神にもたらしたのだ」と話した。注意深く、現象学的に見なければならない。未曽有宇の事態に髪の毛は芸術となり街を彷徨う。保護されないアスピリン製の讃美歌が、私たちに筋肉痛をもたらした。また、驚異について、考えよう。二つの不機嫌さがあり、一つは羊の腰骨、一つは土地に住む神の快楽である。マヤ族の青年の報告書には、驚異とは、薄暗い植え込みに潜む、まだ見たことのない熾火の色合いのことだと、書かれていた。理性の中で火が語り、先ほどの鐘の想い出が
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