物質は在るだろう。また現象も。しかし「自然」は観念だよね。 情報の他にも米とか小麦とか食ってるだろう知ってるんだよ 後世が裁いてくれると思うには未来を信じる必要があり 人の数を数えて決める
というのは
たしかにとてもわかりやすいやりかた
(に見える)
難しい問題は
何が人かというところなのだが
その話はしばらくおいて

もう一つの問題は
何を数えれ ....
蟋蟀の歌のもつ意味そしてまたどの歌も等しくもつ無意味 豊かさは人間の屑の堆積の放つ鬼火の数で測れる 時折は日陰の黒い石として世界を眺めていたいのですが 是非もなく人事不省のまま放り出された場所でよくやってるよ こんなにも多くの人が生活をまだやめていないすごい世界だ 生きていたくはないけれど死にたくもない時にやるべきことリスト お気持ちは理解しますがそこもまた社会の中に過ぎませんから 「傍観は黙認」という癪だけど否定できない論理があって 五十年 目の前にいたのに
会ったことないらしいんだよね
初めは まだうっすらと
見えていたらしいが

双方の呼気が煙幕となり
濃く厚くなり
情報は通さず
物質のみ透過可能な
絶妙な分 ....
聖人の一断よりも千人の愚論を そういう賭けだったはず 自由という足枷を引きずりながら終点のない遠足に行く 「何もかも身体があるから悪い」溝が現れ跨ぐしかない 液晶の画面が暗くなるにつれ見えてくるだろ自分の顔が 閉じた眼の中の闇より夜の闇は少し小さく少し明るい 人のいない世界を造り出すことも人の造った言葉でできる 「死ねば無だ」「滅んだら無だ」まあそれはそうなんだけど明日も仕事だ ありもしないものについて ではなく
まずは
今日食った飯の話でもしろ

今日の飯は 実は
昨日もう食ってしまったので
どこにもありません
答えながら明日の方を見ると

どう見ても背景 ....
究極の真理に震えた後の手で葱と生姜とにんにくを切る 太陽のように輝く無意味さと道の小石に過ぎない意味と 存在が手段だとして目的は「虚無を形にすること」かしら 「人生」をやってはいても「人生」のために生きたいとは思えない 棒人間好きなんだよな人がみなこんなふうならよかったのにな もし選べるのなら人の形にはならない ましてや美少女になど 機械すらいつしか人に似せてゆくように設定されている人 ばらばらと歩いていると

ばらばら
というこの擬態語は
この場合使えるのかどうか
複数ではなかったが
(そのつもりだったが)
個人的にある程度ばらばらと
歩いているつもりだったが

 ....
温かく柔らかい人形ならば愛してしまえるような仕様か
いる(296)
タイトル カテゴリ Point 日付
_短歌021/11/3 22:47
短歌021/11/2 23:09
短歌121/11/1 23:07
頭数自由詩021/10/31 23:59
_短歌021/10/31 23:48
短歌021/10/30 20:42
短歌021/10/29 23:26
短歌021/10/28 22:51
短歌021/10/27 23:21
短歌121/10/26 22:57
短歌021/10/25 22:18
短歌121/10/25 22:16
壁ですらなかった自由詩321/10/24 19:38
_短歌021/10/24 10:57
短歌121/10/23 10:04
短歌021/10/21 23:54
短歌021/10/20 23:25
短歌021/10/19 22:29
短歌021/10/18 22:00
短歌021/10/17 23:48
連鎖状自由詩421/10/17 23:12
_短歌021/10/16 23:04
短歌121/10/15 23:49
短歌121/10/14 22:48
短歌021/10/13 23:44
短歌121/10/12 23:20
短歌021/10/11 23:41
短歌021/10/10 22:46
われわれ自由詩3*21/10/10 22:35
_短歌021/10/9 20:01

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